オルカの日記

雑記と少しの自転車旅

ブログの趣旨

少額訴訟ですっかり目的を見失っているこのブログだが、元々は自転車であちこち出歩き、その様子をレポートするために立ち上げたものだ。

日本一周とは言わないまでも長旅をして日記程度になれば良いかなと、とりあえず作って見たのだ。

季節は秋。間も無く冬が到来するため、旅を始めるのは4月に入ってからと決めている。

 

 

元々人生の目標を持つような人生観もなく、それなりに悲観しながら生きてきた。

人間死ぬために生まれてきたようなものだと思っている人間である。とは言っても別に後ろ向きな人生というわけでもなく、人間は死にたい時には死んでも良い、いつでもゴールできるのだから気楽に生きても良いのだ、と人生に重みを持たせない生活を心がけているだけなのだ。

自分は誰かのために自分を後回しに生きてきたような気がしている。家族とは必ず仲良くしなくてはいけないと思っていたし、ケンカをしないよう、仲良くするよう自分を殺して生活していた。それが本当に良くなかった。

20歳頃だったろうか。ある時心がポキッと折れ、うつ病で苦しみ、暇さえあれば死ぬことを考えていた。この時からだと思う。人間生きたもの勝ちだと思っていたが、ひょっとして死んだもの勝ちではないかと思うようになった。先に死んだ人を羨ましいとは微塵も思わないが、生きることを苦しいと思い、その苦しみを断てることは生きている人間から見れば喜びではないかと思ってしまう。死はネガティブなものだと今でも思ってはいるが、必ずしも避けなくてはいけない選択肢ではないとも思っている。

うつ病が治っても死に対する向き合い方は歪んだままで、「自分はいつ死んでも良い人間だ」という思いを抱えたまま今に至っている。

でも、その思いが常に自分を支えているとも思っている。

自分のためにそれなりに頑張り、他人のために無理をしない。これだけで人生はなかなかに辛いものではなくなった。家族とも必ずしも仲良くする必要はない。必要であれば家族とすら思わなくても良い。この考え方、生き方が性に合っていると本気で思っている。

 

いきなり自分の生き方を語ってしまったが、それくらいの安い生き方なので、仕事を辞めて適当に生きて、金がなくなってのたれ死んでも、それはそれで良い人生だと思っている。

ふと死にたくなって衝動的に崖から飛び降りても、それも一つの人生だと思う。

だから家に留まり続けるよりも、どこか旅に出て自分だけの生活をして、自分なりの生活を満喫したい。その途中で事故やら病気やらで死んだとしても、今までの生活よりはよほどマシだろうと。

 

そういう思いがあって自転車旅は随分と前から予定はしていた。

それを実行に移す準備が数ヶ月前から着々と進んできているわけだ。

クロスバイクと荷物を入れるサイドバッグ、寝袋にテント。必要なものを少しずつ揃え、「最悪旅の途中で買えるしなぁ」と疎かにしている部分もありつつ、ぼんやりとどこに行こうかと夢想している毎日だ。

死に場所を探しているのか、と思われるのはちょっと嫌なので補足しておくと、死ぬ旅ではなく、死ぬ前にやりたいことはやっておきたい、というそれだけの話だ。自転車旅をしている人は大抵ポジティブに生きているはずで、僕みたいな考えの人ばかりではないことも併せて書いておく。

旅先でそれなりに人と関わることもあると思う。それも一つの楽しみである。

なんとかブログの方向性を修正するためにひと記事書こうと奮い立ったがなかなかネガティブなことを書いたかもしれない。

次回は少し明るめに書いていきたいと思う。